仕事が遅いのは丁寧だから?仕事が早いと雑なのか?どの集まりにもあることだと思うのですが、仕事を早くこなす人。仕事が遅い人。仕事は早いが最低限のことしかしないやり方。丁寧な仕事をしてもノルマをこなせなければ、結局だれかに迷惑がかかる。最低限の仕事をして素早くノルマをこなす人に助けられることもあるだろう。丁寧な仕事ってなんだろう。時間をかけただけでは丁寧とは言えない。例えば誰かに何かを説明することが仕事内容だったとする。その人が知りたいと思っていることを見分け、その人に、わかりやすく説明することは丁寧だろう。説明しながら相手の表情をみてわかっているな、とか、この言い方で伝わってるかな、とか、考えながら説明することは丁寧な仕事だろう。説明する相手によってかかる時間もかわる。マニュアルにそって仕事をすることはミスを防ぐためや、誰がしても大きな違いが出ないように仕事をすすめていくためなど、大事なことだが必要と不必要を選択する能力も大切だ。例えばその人にとって不要な情報、もう知っていることをはあえて説明しないが、相手の反応や発言から、ここはもう少し深く話しておこう、などと考え情報を提供することは、説明を受ける相手にとっても、満足度が増し有意義な時間となる。相手に必要ではない情報を説明する時間は無駄かもしれない。それは丁寧なしごとではなく仕事が遅いということになるのではないか。最低限の仕事をするやりかたの場合、相手に必要でない説明や情報は省くが、それ以上の説明を追加することはしないやり方になる。効率がよく仕事が早い。しごとが早い人は効率を良くする方法を考えるのが得意だ。避難されるような仕事ではないが機械的で温かみを感じないかもしれない。こういう仕事のしたかの人がいることで物事が滞ることなく循環していることもあるかもしれない。さらに丁寧な仕事をしていてもノルマをこなすのが早い人がいる。無駄を省いているからだろう。丁寧なのは当たり前で丁寧だから時間がかかる(仕事が遅い)は間違った解釈なのではないか。仕事が遅いということは丁寧だからだけではなくて、無駄を省くことができない、効率のよいやり方を見つけることができない、工夫ができないとかそういうようなことなのではないか。相手に必要な情報を時間をかけて説明するやり方を見て仕事が遅いとは思わないが。常にベストを尽くすことができればいいが多くの人は、しごとをする環境の中で、時間をかけることが難しい、と言う状況はよくあるだろう。バランスを考えずにみんなが常にベストを尽くして仕事をしていたら機能が停止してしまうかもしれない。いい仕事をしていても機能が停止してしまったら、そのサービスを届けることができない。時にはbetterという選択をすることも必要かもしれない。機能を維持するためにバランスをとることは大切だと思う。