akeminblog’s diary

いいな 美味しかった 今日思ったことや考えてること。

おかあさん

自分が親になって、母親のすごさがわかった。こどものころは、お母さんが自分のために何かすることは当たり前と思っていたが、そうではないですよね。自分が親になって母親と同じことができているかというと全然そうではない。母親の忍耐力にはつくづくかなわないと思う。母親に対して、きつい口調やけっこうわがままなことを言っていたと思うけど怒られた記憶があまりない。私がこどもに同じことを言われたら、きっと嫌な言い方で言い返してしまう。育児をしていてよく思うのが、わたしのお母さんだったらこんな言い方はしないなとか、一緒にしてくれるんだろうなとか。こどもの性格は自分とは似ていないし、自分も母親とは似ていない。おもしろいものだ。私は子どもになにか頼まれたとしても、自分のやりたいことを優先で行動してしまう。わたしの母親が自分を優先しているところはあまり見たことがない。それが当たり前だと思っていた。すごいなおかあさん。今は暖房をつければ部屋はすぐ暖かくなるが、わたしがこどもの頃は、まだ暖房がないのも普通だったので、お母さんは寒い日の朝は家族が起きるだいぶ前に起きてストーブをつけ、寒い部屋を暖める。こたつの中には今日来ていく服を入れて温めておいたりもしてくれていた。夜は布団のなかに湯たんぽを入れておいてくれて、布団の中がぬくぬくだったり。寒い冬でもおかあさんがいれば家の中はいつも暖かくて快適だった。朝起きて部屋に明かりがついていないことなんてなかったし、お母さんっていつ寝ているのかな?って思っていた。ものをなくして見つからないときには、“片付けができていないからだ“とか言うこともなく、見つかるまで一緒に探してくれる。私だったら“片付けが出来ていないからでしょう、自分でさがしな。“とか言ってしまう。😐優しくないな😑自分は母親にそんなこと言われたことないのに。私にはそんな面倒見のよさも気長さもない。学校やバイト先で何か嫌なことがあったりすると、お母さんにあーだこーだと話した。おかあさんは私を否定することなく、いつも肯定的に話を聞いてくれて私は満足していた。お母さんはいつもどんなときもわたしの味方だった。それでわがままに育ったところもあったかもしれないけど。そういう風に絶対的に信頼できるおかあさんがいてくれていたことに感謝している。こどものころに母親に無条件に愛された経験、すべてを受け入れてもらえるという経験がその後のこころの安定につながっているのだと思う。わたしは、わたしのおかあさんのようにはなれないが、それでも、こどもには“無条件に愛されている“ということは伝わっていると思うし、これからも伝えていきたいと思う。